この記事は1999年3月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

大島 弘社長の名タク招待席

名タクのルーツは

ハイヤーに近い営業

 骨董市でこんなものを見つけました‥‥と、つい最近、お客さまから一枚の紙片が寄せられました(写真参照)。

 少し黄ばんだ白い地に、紺と橙の色あせたプリント絵。八事の日泰寺と、鶴舞公園を描いたものでしょうか。開くとタクシー会社の営業案内リーフレットで、会社名に「名古屋タクシー自動車」とあります。この会社こそ名タクの元祖であり、名古屋のタクシー事業の草分け。歴史を解きあかす貴重な史料に、社内は色めきました。

 この話をする前に、ちょっとタクシーの歴史についてご紹介しましょう。

 初めて日本でタクシーが走ったのは、今から87年前の大正元年(1912)年。東京の数寄屋橋でした。名古屋でほ2年後の大正3年に登場していますが、やはり時期尚早だったのでしょう。話題を呼んだ割には、お客さまはあまりいなかったようです。

 名古屋で本格的にタクシー事業が始まったのは、大正12年(1923年)のこと。これが史料に一見つかった名古屋タクシー自動車株式会社でした。

 同社は大正6年に設立された大阪の大阪タクシーが主体になってできたもので、会社のマークは同じ菱形。当初から「名タク」の愛杯で呼ばれ、名古屋を代表するタクシーとして市民に親しまれていました。

 太平洋戦争の終結も間近い昭和19年(1944年)9月、同社が中核となって名古屋市内の5つのタクシー会社が、戦時企業統合という形で統合されました。これが現在の名鉄交通です。

 さて、問題の史料です。名古屋タクシー自動車として営業していた大正6年から昭和19年までのものであることは間違いないのですが、正確な時期は今、調査中です。

 それでも記載内容は昔のタクシーを彷彿とさせますので、いくつかご紹介しましょう。

 メー夕ーの上にある「空車」の標示、当時は「あき車」と言っていたようです。また「運賃」は「賃金」。「賃金」は駐車場(営業所や車庫のこと)を出発したときからカウントされ、市外へ行く場合は、降車後の帰りの運賃もいただいていたようです。現在のハイヤーに近い営業形態だったわけですね。

 記載には「安全迅速、親切丁寧」の売り文句があり、「営業上、不行き届きの点があったら遠慮なく本社へ電話をお願いしたい」とも書かれています。当時から「名タク」の基本姿勢はこれだったんだ事と、我々は大いに意を強くしました。

 また営業案内には市内各所までの概算運賃一覧表や汽車、電車の時刻表も書かれ、多方面で貴重な史料になることと思われます。

 なお名タクでは、平成8年に社史「名タク半世紀の歩み」を刊行しています。研究などでご希望の方には無料でお送りしますので(ただし送料は着払い)、本社社長室までお申し込みください。部数に限りがありますので、ご希望に添えない場合はご容赦ください。また名古屋のタクシーに関する古い史料をお持ちの方は、ご一報くだされば幸いです。