この記事は1999年3月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

バックミラー

言葉から始まる

ちょっといい出会い

桧山 胤満(南部第2営業基地)

 

 初めて乗っていただいたお客さまのことは、今でも覚えている。名古屋へ移り住んだばかりで、西も東も分からなかったから、訳を話して道順を丁寧に説明していただいた。中年のご婦人だったが、新米の不調法にいやな顔もせず、降りぎわには「頑張って」とエールまで送ってくれた。

 ご婦人にしてみれば何気ない挨拶だったろうけれど、知らない街での初仕事。心細さに揺れっぱなしだっただけに、胸に染みた。あの一言で、名古屋が好きになったし、仕事にやる気が湧いたのである。

 こんなこともあった。仕事を終えた旅客機の搭乗員を迎えるため、名古屋空港で同僚たちと待機していたときのこと。すぐ横のフェンスを小学生連れの親子が覗き込んでいた。クジラの絵を胴体に描いた、当時人気の旅客機を見にきたらしい。夜も遅いし、しかもそのフェンスからは見えそうもない。そこへフライトを終えたパイロット、我々のお客さまたちがやってきた。その後のことは今でも覚えている。気軽にご家族に声を掛け、くだんの旅客機がとまっている場所へ案内していったのだ。そのフェンスから随分離れている場所まで。夜間飛行で疲れているにも関わらず。親切心に胸が熱くなった。集まっていた同僚たちも同じだろう。一行が戻ってきたとき、一斉に拍手して迎えたくらいだから。名古屋空港が好きになった。

 その空港で、花巻からやってきた年配の男性をお乗せしたことがある。離着陸の飛行機を見ているだけで一日過ごせるという航空機ファン。最寄りのバイクショップへという依頼だったが、飛行機好きならと、道々、各務原市の航空博物館の話をしたのである。ショップでの用件が片付き次第、すぐ行こうということになった。ファンにとっては垂涎の施設だったらしい。お客さまはいい旅ができたと大喜び。案内した方だってもちろんうれしい。

 ハンドルを握って、胸が膨らむシーンに出会うたび、会話のもつ力について考えてしまう。声を掛けたり、あるいは掛けられたりしなかったら、こうした記憶に残る光景には出会えなかったのだから。 これからも、お仕着せでない、素直な言葉を交わせればと思う。私を元気づけてくれた、何気ないあの一言のような。