この記事は2002年9月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

バックミラー
東海豪雨が残したもの

菊田 勝男(西部営業基地課長)

 あの日からちょうど2年になる。記憶もまだ生々しい。

 平成12年9月11日から12日にかけて丸一日で535ミリの雨が降った。名古屋の年間降水量の3分の1、べらぼうな勢いである。庄内川や天白川も暴れ川と化したが、一番暴れたのは新川だった。

 深夜の3時過ぎに新川が約100メートルにわたって決壊した。当社の西部営業基地は、その決壊した堤防の真ん前にある。

 その日、雨は夕暮れから勢いづき、鶴舞公園で走行不能になったと、営業係(ドライバー)から救援要請連絡が入った。これが悪夢の幕開けで、以後、基地の電話は鳴りっぱなし。おおわらわの体で時間が過ぎ真夜中になった。

 くだんの堤防が決壊し、出し抜けに半地下構造の事務所奥から濁流が流れ込んできたのである。慌てて通路のドアに飛びついたが、水圧で閉められない。見る見る事務所内が水没してしまった。

 電話機は流されて行方知れず。停電で真っ暗闇の中、配車センターと無線での状況連絡を続ける。濁水に胸まで浸かって。

 そのうちに近隣の人たちが避難してきた。数十人を2階の広間に上げ、休んでいただいた。

 夜が明けての周囲の光景は、とても忘れることはできない。市内でも最も被害のひどい中小田井、西枇杷島地区である。一面が海のようで、ハザードランプを点滅させた車が、まるで生物のように、ゆらゆらと動いて流れていく。その海の上を自衛隊や消防団のボートが行き来している。

 この有様の中でうれしかったのは、一人の負傷者も出なかったこと。そして自宅からボートで駆けつけた当基地支配人や本社の人たちが、食料など救援物資を届けてくれたことだ。おかげで2階に避難していた皆さんにも喜んでいただけた。

 大ごとだったのは、水が退いてからの復旧作業である。ヘドロの耐えがたい悪臭の中、社屋を清掃し、水没した車両を整備し、業務再開に漕ぎ着けたのはやっと半月後のことだった。

 未曾有の災害で失ったものは多い。けれどもそこから得たものも少なくはないと思う。

 基地のみんなが早期再開に向け、一つになって協力したこと。それに危機管理意識の醸成である。さらに避難場所として活躍しただけに、地域の皆さんとの連帯意識も強まった。今後の基地の成長に、災い転じて福となす出来事だったかもしれない。