この記事は2001年9月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。
私のタクシー体験 |
タレント 宮地佑紀生さん 聞き手
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海外旅行での楽しみは、タクシーと美容院です。
東海ラジオの番組「宮地佑紀生の聞いてみやーち」(毎週月-金・13・00~16・00)などで人気のタレント・宮地佑紀生さん。これぞ名古屋弁というテンポのいいしゃべりと人柄の良さに、ファンは多い。年2回は海外旅行にお出かけになるそうだが、彼の地もやっぱりみずみずしい名古屋弁を? |
毎朝5時に起きて勉強しています。 大島 ラジオ番組をお聞きしていると、名古屋弁が非常に面白くて、テンポもいいですね。 宮地 僕は大須のあたりで生まれ育ったもんですから、ベタベタの名古屋弁なんですね。東京にオーディションに行ったときも、「ほんだもんで」と言ったら、「はあ?」と、イッパツでダメでした。(笑) 大島 私も犬山生まれでして、名古屋よりもすごい方言が出るんです。会社でも熱が入ってくると、「ほんでよお」とか(笑)。パートナーの神野三枝さんとも息がピッタリですね。 宮地 合うんですよね、何か。僕はもともと一人しゃべりが得意だもんですから、落としどころがちょっと違うんですけどね。5年我慢しとったら、ほぼ同じところに落ちてくるようになって。 大島 ということは台本があるわけじゃなくて、全部フリートークなんですか。 宮地 そうなんです。だから毎朝5時に起きて、新聞7紙と週刊誌とハードカバー読んで、ランニングして、美術館に行く、ないしは街を歩く。4時に番組が終わると映画を見るかライブに行くか、街を歩くか‥。 大島 すごい勉強家ですね。 宮地 それやってかないと、しゃべるのは貯金をおろすのと一緒で、残高を減らしちゃうんですね。 海外旅行の楽しみは、タクシーと美容院。 大島 お仕事柄、タクシーにお乗りになる機会も多いと思いますけど、何か楽しい経験はございますか。 宮地 僕は今の番組が始まった5年前から年2回、海外旅行に行かせてもらってるんですよ。で、なるべく旅行先ではタクシーに乗るようにしているんですけどね。バリ島に行ったときなんかエンストしちゃって、「押さんと動かんよ」と言われて、3人で一生懸命、押したとかね。 大島 ほお。 宮地 信号で止まったら、よい子がバーッと走って来て、「お金くれ」って言うんですよ。で、運転手さんがお金をあげるんです。「何で?」って聞いたら、「前世は自分のお父さんだったかもしれないから」って。 大島 何人でも来るんじゃないんですか。 宮地 そうなんです。時間がかかってしょうがないんですよ。中国で乗ったときは、カラオケ代と飲み代と一緒に「こんだけ」と言われて。メーターを倒さんもんですから、怖かったですよね。パリもいい加減ぽかったし。そう思うと世界的にすごいんじゃないですかね、日本のタクシーは。 大島 そういう話はよく聞きますね。 宮地 僕の旅先での楽しみは、タクシーと美容院なんですね。その国の文化が分ると思って。 大島 タクシーというのはともかく、美容院と言う方は初めてですね。 宮地 何とかコミュニケートがとれそうな気がして。でも香港でこんな頭にされちゃったんですよ。前はね、コケシのようにかわいい頭しとったのに。(笑) 名タクさんは安心まで届けてもらえます。 大島 名古屋でもタクシーにお乗りになることはありますか。 宮地 はい。僕は名タクさんしかチケットがないんですね。で、節目のときは全部名タクさん。飲みに行くときも。本当のこと言うと、前は飲酒運転も結構やっとったんですけどね。車を2台つぶしてからはもうタクシー。2台で200何万になりますもんね。それだけタクシーに乗ろうと思うと、随分乗れますからね。 大島 それはそうですね。 宮地 気持ち的にも楽だし。自分の人生を保障してもらえるタクシーは、金額ではないお値打ちさを感じますね。それも名タクさんの看板があると。特に飲んでいるときの女の子は、菱形の名タクさんに送ってほしいらしいですね。安心まで届けてもらえるみたいで。 大島 そう言っていただけると、私どもも力づけられます。 宮地 名タクさんは自分の電話番号を言うだけで、「はい、宮地さんですね」と言ってもらえるじゃないですか。ほうすると安心するんですよね。 大島 今ではこちらが受話器を取っただけで、テレビのモニター画面にお名前や住所、行き方なんかがすぐ出るようになっておりまして。 宮地 へえ。そうなんですか。 大島 さらに最近の技術では通信衛星を使って、どこに何台いるか、一番速く到着できる車はどれかも分るようになったんです。ですからわが社では今、どういう機能を持たせたらお客さまに喜んでいただけるのかを、検討中なんですよ。 宮地 それは便利ですね。 夢は60歳までしゃべり続けること。 宮地 僕は名鉄さんとはご縁が深いんですよ。名鉄セブンでお店(「参百六拾六日の店」)を25年やっとったんですよ。ほんで名鉄メルサでも‥。 大島 ほお。そうでしたか。 宮地 笹島の角でアクセサリー売っとったら、名鉄の人が「中でやらしたる」っておっしゃったんです。「売上の歩合だけ納めればいい」と。そしたら周りは若いお嬢さんだらけで、思ったとおりの生活ができるように‥。(笑) 大島 なるほど。 宮地 で、名鉄セブンであべ静江さんが公開録音をやってたときに、たまたま売り場の女の子が休んで、「あんた代わりに出やあ」と言われて出たのが東海ラジオで、ディレクターに「うちでしゃべりゃあ」と。いいふうに回ってきとるんですね。 大島 ほお。才能がおありだったんですねー。お店はもう辞められたんですか。 宮地 29のときですわ。名鉄セブンだけで億近い現金が手元にできちゃったもんだから、「これは2軒やると2億、3軒やると3億になる」と思って5軒出したら、8千万くらいの赤字を作りまして。それからの2年間は死んで返すしかないと思って、自殺しやすいビルを探して‥。 大島 それは大変でしたね。 宮地 たまたま知人が安くアクセサリーを卸してくれましたんで、4年で返せれました。で、「2つやっとるから中途半端になるんで、1つにしやあ」と言われたんで、タレントだけにしたら、こんな楽なことはないと。 大島 しゃべるのは健康にいいそうですね。 宮地 そうなんですね。僕の夢は60くらいまでしゃべり続けることなんですよ。60近くなったら、今度は「65まで」と言っとると思いますけど。(笑) 大島 これからのご活躍を期待しています。今日はありがとうございました。 |